ラスキンの言葉·Ogawa Mimei

ラスキンの言葉

ラスキンのことば

小川 未明(Ogawa Mimei)

intermediateessay· 1982· 青空文庫 ↗

もう昔となった。その頃、雑司ヶ谷の墓地を散歩した時分に、歩みを行路病者の墓の前にとゞめて、瞑想したのである。名も知れない人の小さな墓標が、夏草の繁った一隅に、朽ちかゝった頭を見せていた。あたりは、終日、しめっぽく、虫が細々とした声で鳴いている。そして、たゞ、こゝにも世上の喧轟を他にして、月日が流れていることを思わせたのであった。

思うに、ある年のある日、旅人は、夕日に彩られた街を喘ぎながら歩いていたであろう。そして、胸に苦しみを覚えた刹那に、どちらかの空を仰いで、その地平線のはてに、いまも静かに存在しているであろう故郷の風景を眼に描いたにちがいない。そして、自分の母をひとり叫びつゝ死んだのである。

こう思った時にひとしおのさびしさが感じられた。そして、折しも、沈みつゝ、樹間をいろどれる夕日を思い深くながめたのであった。

爾来幾年、雑司ヶ谷の墓地も面目を変えた。文化の風は、こゝにも吹き込んだようである。知己、友人の幾人かは、その間に、こゝへ葬られて眠っている。

いま、墓畔近く、居して、こゝを散歩すると、それ等の人達の墓を巡詣すべく、習慣づけられてしまった。そして、地下にある人の思想と、趣味とを考慮してか、それとも無意識的にか、其処に建設された墓石と、葬られた人とを想い併せて、不自然に考えることもあれば、また、苦笑を禁じ得ざることもあるのである。

ラスキンは言ったのである。死者は、よろしく、愁草や青白い花に委すべきである。若し、その人を忘れずに、記念せんとならばその人が、生前に為しつゝあった思想や、業に対して、惜しみ、愛護し、伝うべきであると。

まことに、詩人たり、思想家たる人の言葉にふさわしい。

0:0050%