そのおじさんは、いつも考えこんでいるような、やさしい人でした。少年は、その人のへやへいきました。
「なにか、お話をしてくださいませんか。」と、たのみました。
「どんな話かね。」と、おじさんは、聞きました。
「どんな話でもいいのです。」と、少年がいうと、おじさんは、つぎのような話をしてくれたのです。
二、三日まえの新聞にあったが、街の中央へビルディングができるので、地を深くほりさげていると、動物の骨が出てきた。それを学者がしらべて、およそ二万年も前の人間の骨で、まだ若い二十歳前後の女らしいが、たぶん波にただよって、岸に死体がついたものだろう。この街のあるところが、当時は海岸であったのがわかるというのだ。
この記事を見て、私は考えさせられた。大和族より、もっとさきに住んでいた民族であろう。そのような遠い昔から、人類には悲しみや、不幸というものが、つきまとっていたのを知ったからだ。いかなる災難か、またなやみからで、その女は死んだのであるが、若い身でありながら、人生のよろこびも、たのしみも、じゅうぶん知らずして、死んでしまったのだ。
幾十世紀かの間には、海が陸となったり、また陸が海になったりして、おどろくような事実があるにちがいないが、それよりも、人間の生命のはかなさというものを、より強く感じられる。そして、いつの世でも、一生をぶじ幸福に生きるということは、容易のことでないらしい。
このアパートの、下のへやにいる娘さんをごらん。つとめに出るときは、お化粧をして、そのふうがりっぱなので、人目には、いきいきとして、美しくうつるので、さぞゆかいな日を送ってるだろうと思うけれど、家へ帰って、仕事をするときのすがたを見ると、つかれて顔色が青白いじゃないか。母親が病気で長くねていては、自分は気分がわるいからとて、休むことさえできないのだ。