頭が過敏すぎると、口や、手足の働きが鈍り、かえって、のろまに見えるものです。純吉は、少年の時分にそうでありました。
学校で、ある思慮のない教師が、純吉のことを、
「おまえは、鈍吉だ。」と、いったのが原因となって、生徒たちは、彼のことを鈍ちゃんとあだ名するようになりました。
「ドンチャン、早くおいでよ。
学校への往復に友だちは、こういったものです。しまいには、本名をいうよりか、仲間の間柄だけに、あだ名で呼ぶほうが、親しみのあった場合もあるが、そばを通ったどらねこに、石を投げるのが遅かったからといって、心から軽蔑した意味で、
「ドンチャンでは、だめだなあ。」と、いったものもあります。
彼は、自分より年下の子供たちからも、
」と、いわれることに対して、けっして、快くは感じなかった。ただ、黙っていたまででした。そして、自ら憤りを紛らすために、にやにや笑ってさえいました。だからいっそう、みんなが彼をばかにしたのです。
ときどき、純吉は、自分を侮る相手の顔をじっとながめることがありました。
「あの面に、げんこつをくらわせることはなんでもない。だが、己が、腕に力をいれて打ったら、あの顔が欠けてしまいはせぬか?