お勢登場·Edogawa Ranpo

お勢登場

おせいとうじょう

江戸川 乱歩(Edogawa Ranpo)

advancedfiction· 2005· 青空文庫 ↗

肺病やみの格太郎は、今日も又細君においてけぼりを食って、ぼんやりと留守を守っていなければならなかった。最初の程は、如何なお人好しの彼も、激憤を感じ、それを種に離別を目論んだことさえあったのだけれど、病という弱味が段々彼をあきらめっぽくして了った。先の短い自分の事、可愛い子供のことなど考えると、乱暴な真似はできなかった。その点では、第三者である丈け、弟の格二郎などの方がテキパキした考を持っていた。彼は兄の弱気を歯痒がって、時々意見めいた口を利くこともあった。

「なぜ兄さんは左様なんだろう。僕だったらとっくに離縁にしてるんだがな。あんな人に憐みをかける所があるんだろうか」

だが、格太郎にとっては、単に憐みという様なことばかりではなかった。成程、今おせいを離別すれば、文なしの書生っぽに相違ない彼女の相手と共に、たちまち其日にも困る身の上になることは知れていたけれど、その憐みもさることながら、彼にはもっと外の理由があったのだ。子供の行末も無論案じられたし、それに、恥しくて弟などには打開けられもしないけれど、彼には、そんなにされても、まだおせいをあきらめ兼る所があった。それ故、彼女が彼から離れ切って了うのを恐れて、彼女の不倫を責めることさえ遠慮している程なのであった。

おせいの方では、この格太郎の心持を、知り過ぎる程知っていた。大げさに云えば、そこには暗黙の妥協に似たものが成り立っていた。彼女は隠し男との遊戯の暇には、その余力を以て格太郎を愛撫することを忘れないのだった。格太郎にして見れば、この彼女の僅ばかりのおなさけに、不甲斐なくも満足している外はない心持だった。

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